その51 【特別編その1】

時期:2004年08月12日                                              執筆日:2006年01月16日
さて前回公言したように今日から普通のドイツ音楽留学回想記ではなく、特別編に入ります。なにが特別なのかというと、ドイツではないからです!!とりあえず説明をば。

大学が2004年の7月に夏休みに入って、8月の頭からなんとわたくし、イタリアに行っていたんでござーますの!その当時、とあるところに日記をつけていたのでそれをほぼそのままココに掲載して、その後の説明みたいなのを付け加えてみようと思います。


――――――――――――【イタリア語学研修記1】 2004年8月12日(木)――――――――――――


さてさて、わたくしは今イタリアはフィレンツェにきております。ここにきてから1週間半が経ちましたが、なんとか生きておりますよ。

俺が住んでるのは、フィレンツェの街中のアパートの屋根裏部屋で、3人の人間でシェアしてるのである。シャワーとトイレとキッチンは共有で、一人一部屋自室があるのです。

しかーし!ここがことさら暑い!!イッターリアはすんごい暑い上に、屋根のすぐ下だから昼間は蒸し風呂。しかも冷房なんて気の利いたものは無いし扇風機すらない始末。結局語学学校が閉まるまでそこにいて、日が落ちる少し前に家に帰る毎日。

部屋のことはまぁおいといて、一緒に住んでる人達は55歳くらいのスイス人と、29歳のイギリス人。両方とももちろん男性である。もちろんの事ながら俺は英語が喋れないし、イタリア語もまだまだ来たばかりだから会話ができなーい!とか思ってたら、スイス人がドイツ語喋れてなんとか意思疎通ができてるのだった。スイス人はジャン・ルイ、イギリス人はティムと言う名前。彼らについてはこれからおいおい書いていくことにしよう。

フィレンツェ生活は残すところあと6週間半くらい。これからまだまだ何があるか分からないけど、また報告いたします。

それではねん。


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オペラを歌うのにイタリア語を避けては通れない。そういう思いから夏休みを利用して2ヶ月ほどイタリアへ語学研修に行っていたのでした。

まずリューベックの空港から飛行機でミラノへ飛び、電車に乗ってフィレンツェまで行ったのだった。それだけでもヒーヒーだったヨ・・・。まったく言葉がわからないっていうのは本当に不安だね・・・。まぁ無事に着いて来る前から予め申し込んでおいた家へ向かうことになった。住人は上に書いてあるとおり。

そして語学学校が始まってからそこに通うようになったのでした。



一枚目はフィレンツェの風景をチラリ。本当に綺麗な所!
これからバンバン当時の写真をアップさせていくぜい!


      二枚目は家のベット。見てくれ!
      暑いのに、さらに日がベットに照ってる!!





三枚目の写真は左がジャン・ルイ、真ん中がティム、右が同じ学校で同じクラスのイギリス人のメリッサ。実はティムはこの子にぞっこんだったのだ。俺が紹介したんだけどね。


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