その45 【リューベック音大受験編】

時期:2004年02月17日                                               執筆日:2005年12月20日
このリューベック音大を受験しようと思ったきっかけは、ミュンスター時代に一緒だったRちゃんの彼氏のT君がここで勉強していたからだった。彼はRちゃんに会いにたまにミュンスターに来たりしていて、ちょこっと面識はあったのだった。そういうわけでリューベックも候補の一つに上がったわけです。

リューベックの受験日は2004年2月17日の火曜日。受験者が多いので数日に分けて試験は行われた。だから多分月曜日と水曜日にもあったはず。俺が受けた時の受験者は120人くらい。相も変わらず韓国人だらけ。アルファベットのKのところにはキム・キム・キム・キム・・・・。Lのところにはリー・リー・リー・リー・・・。Pのところにはパク・パク・パク・パク・・・・。

朝8時に学校の一室に集まり点呼を取る。その時点で来てないひとは受験放棄とみなされる。その場で試験曲を書いた紙を提出し、点呼が終わって10分後くらいかに受験の順番が張り出される。俺の時間は14時15分だった。あと6時間もどうすればいいんだ!?と思いつつ、1日前から泊まらせてもらってたT君の家に戻り昼ね+食事を摂らせてもらった。

指定時間の15分前に大ホールの横に行き順番を待つ。前の受験者達がどんどん終わって出てくる。どうやらここの大学は終わってすぐに結果が言い渡されるようだ。これもちょっと難しいシステムをとっていて、詳細は後に書くことにする。

俺の番が近づいてきて、伴奏の人に持ってきた曲の楽譜を渡す。テンポなど一通り話をつけて待ってると、「アナタ・ハ・ニホンジン・デスカ?」と日本語で話しかけてくる。なにやら日本語が好きらしく、彼は自力で勉強しているそうだ。少し話をすると、日本にも何度か行ったことがあるらしく、またいつかいきたいそうな。

自分の名前が呼ばれて大ホールの舞台の上に上がる。名前を言い、最初に歌う曲名を言い、歌い始める。自分が一番長いこと勉強していて得意なオペラアリアだった。最初に声を発すると、驚いたことにホールの響きとマッチして自分の声がのびのび響き渡った。唯一の最高音(H)でちょこっとムキャってなったが、その他は上手いこといったと思った。次の曲は試験官から指定されて、シューベルトの歌曲、「シルヴィアに」を歌った。もう一つのほうが指定されると思っていたので、ちょっとびっくりしながらも歌い終わった。

歌い終わると客席の試験官である教授たちのところに呼ばれ、なにやら聞かれた。

試「君はどのくらいドイツにいるのかね?」

俺「今で3年目です。今はミュンスターにいて、そこの学校に通ってました」

試「君は学業を終えたらどうするつもり?ドイツに残るの?それとも故郷に帰るの?」

俺「学業を終えたらドイツに残りたいです。ドイツの劇場でオペラを歌いたいです。ソリストか合唱かはどちらでもかまいません」

試「そうですか。ありがとう」

てな具合に、ミュンスターの時のコント張りの受け答えから成長して、しっかりと自分の意見を述べることができたのでした。俺の3年は無駄ではなかった!!

そして外に出て待つこと3〜5分。一人の男の人が出てきて、

「おめでとう、君は合格だよ。後日学校から正式な書類が届くからそれを待っていなさい」

といわれた。ここで俺は事前情報を仕入れていたのだが、この学校の入試のシステムはちょっと複雑で、まず規定人数以上の受験者を合格させ、点数の下のほうの人間は待ちリストに乗せられるのだ。そして上位の合格者が違う大学に行ったりするとその下の人が繰り上げられ、入学できるという寸法だ。だから合格を言い渡されはしたものの、まだ不安はぬぐいきれず、ミュンスターに帰ってからもそわそわしていた。

これまたある人の情報から、生徒を正式に取る場合はとりたい教授がその人に直接電話するらしいということだった。だからミュンスターに帰ってからずっと、トイレに行く以外は部屋から出ず、ずっと電話の近くで待機していたのだった。待つこと3日、電話があった!!試験で俺の声を気に入ってくれた教授が俺をとりたいということだった!!

今後の進路がまったく見えない状態から先が繋がって、飛び上がって喜んだ!願書を送る時にも下の方に「26歳以上は特別なものが要求されます」みたいなことが書いてあったから不安だったのだ。当時俺は26歳。えかった〜。まだまだこれからすることはあるが、とりあえず肩の荷が下りた思いがしました。


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