その44 【ドイツに来て初の転換期編】
時期:2004年01月〜 執筆日:2005年12月16日 |
時はあっという間に過ぎ、2004年の正月を迎えることとなった。ドイツにはもちろん正月三が日という習慣はなく、新年を迎えると次の日からは普通に戻るのである。
一応大学を卒業することができたのはいいのだが、今後の進路については全く先が見えておらず、何か手を打たねばならなかった。一応手は打っておいた。
俺のミュンスターでの先生は性格が日本人っぽく、自分の生徒が他の先生のところに行くことに不満をもってるのだ。だから俺は当時、先生には内緒で他の大学へ入学願書を送っていた。送ったのはベルリン・ハンス・アイスラー音大、カールスルーエ音大、ライプツィヒ音大、リューベック音大、デトモルト音大の5つの大学である。もう一校送っていたのだが、書類不備で送り返されてしまっていた。
まず受けたのはデトモルト音楽大学。ここは街は小さいくせに音大の質はかなりいいというところ。俺が受けた時には受験者が約150人。そのうち韓国人が120人くらいで、日本人3人くらい、中国人5人くらい、ドイツ人5人くらい、その他の国の人20人くらい、である。そして合格したのはその中からたった2人の韓国人であった。倍率75倍??
その次に受けたのはカールスルーエだった。その前に俺はそこの教授の下でフォアジンゲンなるものをしていた。これは先生に自分の声を聞いてもらうためのもので、普通に電話して日取りを決めて歌うのである。その時歌った後に先生が言った言葉は、「君、いい声してないね」だ。いや、ショックでしょ。そして日を開けて入試を受ける。相変わらず韓国人が多い。日本人は見る限りでは俺一人だけだったのでぽつんと一人で待ってると、韓国人が「zv:pんG・KLんX?」と話しかけてくる。なんのこっちゃと思いながら「俺は日本人だよ」とドイツ語で言うとどこかに去っていった。この入試では、はっきりいって自分でもわかるくらい下手だったので、結果も当然ながら不合格だった。
ベルリン・ハンス・アイスラー音大の入試は、ミュンスターでのコンサートの日と重なり、あえなく断念した。
ライプツィヒ音大は遠いのと、なにやら気が進まなかったので受けにいかなかった(そんなんでいいのか!?)。
残すはリューベック音大だけだったのだが、すでに俺がリューベックに来てることからもわかるように、ここに無事合格することができたのでした。
そのことについてはまた今度書くことにしよう。 |
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