その32 【人生最大の正念場編】

時期:2003年12月頃                                                   執筆日:2005年11月18日
親友の結婚式や、小さなオペラの役をゲットした頃から遡ること数ヶ月、当時とあるミッションが俺には課せられていた。それは今まで生きてきた中で間違いなくベストスリーに入るほどの重大で、苦労したことだった。

そう、卒業論文である・・・。

ドイツに来て早や2年、しかしたかが2年!卒業論文をばっちり書き上げるために必要な語学をマスターできるような年数ではない。特に語学学校には最初の半年しか行っておらず、その後は独学、むしろ何もしてなかった。学校の授業と重なったりしたために行くことができなくなったからだ。

まず一番初めにしなければいけなかったことは、最初の読者、評価してもらう先生を決めることだった。俺はそれを、音楽学の授業などでお世話になった、見た目がサンタクロースのようなおじいちゃんのブリル先生に決めた。そして卒論のテーマを決めて2002年12月13日までに提出しなければならなかった。

よく他の人を見ると、大抵作曲家とかについて書いていたりする。しかしバッハやモーツァルトやベートーヴェンなんて腐るほど論文があるだろうし、下手に書くとつっこまれどころが多そうなのでどうしようか悩んでいたところ、いいことひらめいた!だったら日本の作曲家について書こう!日本語の資料も沢山あるし、あまりドイツでとりあげられてないだろうから少々間違っててもバレやしないし!とか思って、日本が世界に誇る偉大な作曲家「武満徹」を題材にした。

題を決めてブリル先生のところに持っていく。「武満徹」。先生はコレを見てこう言ってきた。

「彼を取り上げるのは悪くないが、テーマが漠然としすぎている。なのでこうしなさい≪作曲家武満徹、1960−2000年間の日本の資料と照らし合わせて≫、と。」

さすが音楽学者、題もかっこいい。先生に言われたとおりに題を書き学校の事務に提出した。

さて、一難去ってまた一難。次は「目次を書け」とのことだった。実は論文を書く上でこの目次決めは重要な役割を果たしているのだった。自分がこれから書いていく文の指標をたてることは、何についての資料を必要とするかなどの役に立つし、読者にも一目でその構成の良し悪しがわかるからだ。

これが意外に難しい。全てがきちんと決まるまでに1ヶ月近く要した。残りは3ヶ月。時間はあるようでなかった。

つづく・・・


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