その21 【ミュンスター音楽学校視察編】

時期:2002年02月25日頃                                            執筆日:2005年11月07日
嵐のように大学での生活は過ぎ、クリスマスも終わり、1月も2日からは学校が始まっていた。ドイツといえばクリスマス時期が華やかなのだろうけど、どうもこの時期のことはよく覚えていない。ハテ?一体何をしていたのだろうか??

大学の授業は2月22日までで終了だったのだが、その後、音楽学校へ視察に行かなければならなかった。なにせ教育学科だから、そこでどういう教育が行われているかを見る必要があったのだ。そんなことはつゆも知らない俺は学校が終わったらソッコー日本への飛行機のチケットを買いに行こうとしていた。幸いなことにその直前くらいに先生が「タダヒロ、知ってる?」と聞いてきたので泣く泣く帰りの飛行機の予約を先延ばしにしたのでした。コレをしないと卒業できないのです。

音楽学校というのは日本で言うY○MAHAとかK○WAI音楽教室みたいな感じで、音楽を習いたい人なら誰でも習えるというところなのだが、日本と違って市が援助をしてくれているので、個人で全額支払っている日本の音楽教室よりも安いのである。

最初の日に、視察をする学生たちが音楽学校の一室に集められ、そこの学長みたいな人がいろいろ話をしている。どうやら、どのようにこの学校が成り立っているかとか、経済的にどうだとか、授業形態はどのようだとか、講師たちはどんなだ、とかだろう。これまた第六感で感じ取った。今回音大から来たメンバーは7人くらいで、何をするのかといったら、色んな授業の場所に赴き、1時間見学して、その先生のサインをもらうというものだった。

まず俺が行ったのはサックスのレッスンだった。入ると、ドイツ人にしては小柄なおじいさん風の人がいて、あと小学生っぽい男の子がいた。彼らはCDラジカセから出てくる音にあわせて吹いていた。

俺「すいません・・・、お邪魔していいですか?」
先生「ああ、聞いてるよ。どうぞ」

ということで見学開始。
なんのこたぁない、じーっと聞いて、見て、45分経って終わってサインもらって次の授業へ。

次に行ったのはトランペットのレッスン。熱血漢な先生だった。今度は中学生っぽい男の子がいた。明らかに練習不足でぜんぜんふけない。パフー、パフーって言ってる。

これまた45分聞いてサインもらってさようなら。

この視察は4日間あり、1日2つのサインをもらえばよかった。なのでこの日はさっさと帰りました。

次の日はまずピアノのレッスンを見ることに。なんと先生は日本人だった。レッスンはもちろんドイツ語で。なのでちんぷんかんぷんだが、いつものように聞いてサインもらった。その後話しをしたのだが、外国人がこうやって働くのは難しいそうだ。たいへんだなぁ〜・・・。

そして歌のレッスンを聞きにいくことにした。先生は女の人で、入ると違う音大の生徒も来ていた。この先生も熱血漢で、ただの視察なのに、一緒に歌わされてしまった。本当の生徒がいるのにいいのかしら?

こんな感じで4日間終わり、ドイツの音大の、最初の一区切りがついたのでした。そして日本へ!!


当時はこんな感じでやっつけ仕事だったのだが、今思い返してみると、これはこれで十分勉強になった。ドイツの音楽学校がどのようにして営まれているのか、レッスンの形式は?生徒の質、やる気は?

そして思ったのが、ドイツでは学生から職持ちへの移行がきちんと計画されてるということだ。「学生だから」という甘えは許されず、大学生と言う立場はむしろ「先生の卵、いや、さなぎ」と言う感じで、教育学科なら既に教えれないとダメなのである。歌科であれば、歌えて当たり前。歌詞を間違えるなんて論外、音をはずすなんて失格。ミスは許されず、バッシングもかなりある。

厳しすぎるとは思うが、じゃあいつするんだということになると、学生が終わってからではやはり遅い気がする。語学はかなりダメ、ドイツでの生活もそんなに慣れてはなかったけど、学生でいる間の心構えをしっかりと持たないといけないと考えさせられた実習でした。

今思い返せばだけどネ。


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