その4 【ハムでの生活の始まり編】

時期:2001年05月頃                                     執筆日:2005年10月21日
さて、当時のことをどこまで覚えてるか不安だが、とりあえず人物紹介からいってみようか。

当時住んでいたのが大家であり、先生の門下生だったアンドレアス・ショルツ。彼は当時35歳で未婚子持ちという不思議な奴だった。声種はテノールで、人間はすごい優しい奴。その子供は母親と一緒に住んでいて、週末に遊びに来てた。ラナという5歳の女の子で、これがえっらいかわいい。

そして最初にものすごくお世話になったエイジさん。この人は俺より2歳年上で、目下音大受験を控えて彼のところに居候していた。ドイツは1年目らしく、俺なんかよりも全然ドイツ語を喋ることができたので本当に色んなことを助けてもらった。声種はバリトン。

そしてもう一人はドイツ人の女の子で20歳くらい(名前忘れちゃった・・・)。なんとゴシック系の子で、真っ黒い服に金物アクセサリーいっぱいに、メイクもそれっぽい。性格はだらしない。そして真っ黒い犬を飼っていた。その名も「ジェリー」!!犬にジェリーっすか?

そんなこんなで始まった共同生活。ドイツにいる人には問題ないと思うが、ここドイツではこうやって広い家を何人かでシェアする方法がかなり一般的なのだ。これをドイツ語で「ヴォーン・ゲマインシャフト(頭文字をとってWG)」と言う。部屋はそれぞれあって、キッチン・バス・トイレは共同というのが普通だ。掃除もちゃんと割り振ってやってる。

まず一番初めにやらなければいけないことは、ドイツの銀行口座の開設。そんなのまったく知らなかった俺はエイジさんについて行ってもらってドイチェバンクの口座を開きました。俺は全く理解できず、とりあえずしたことといえば椅子にすわり、来た紙に言われるままサインしたくらいでした。そして無事に終わり、数日後には銀行からカードが届きました。エイジさん様様です。

次に問題なのがドイツ語。いくら助けてくれる人がいるとはいえ、自分のドイツ語をどうにかしないことには前に進めん!と思い、ここハムで語学学校を探していくことに。駅の近くにあった語学学校へ行き、ドイツ語をやりたい旨を伝えると「今、初心者コースはやってないのよ。先生1人と生徒1人との個人授業でよければやってあげれるわよ。」とのことで、それを申し込んでさっそく通うことに。何を隠そうこのハムでの個人授業のことはほっとんど覚えてない。ハテ?なぜだろう・・・?なんとなく、あまり勉強にならなかったような気がするのだ。

ドイツに来たのが2001年4月。ミュンスター音大の受験が7月。とりあえず先生にドイツに着いたことを伝え、受験までにレッスンを受けるということでハムから学校に行くことになりました。その時はアンドレアスも一緒に学校へ行くということだったので連れて行ってもらい、初めてミュンスター音大に足を踏み入れました。学校の第一印象は「入り口変なのー」でした。入り口は2階にあり、その前に階段があるのですが、その部分がガラス張りのピラミッドのような構造をしてるのでした。なにやらこの建物、昔は銀行だったらしく、中の構造もなんとなーくオフィスっぽい。

久しぶりに先生に会うと大歓迎で迎えてくれてよくわからないが、とりあえずなにやら話してた。レッスンも終え学校から出ようとしてるときに、なにやら日本人らしき機影を発見。果敢に話しかけてみるとやはりニッポンジン!嬉しさついでにキャッキャと色んなことを話していくうちに、この学校の目の前にいい語学学校があるらしく、その人も行っていたというので次からそこに通うことにした。その名も「カピート」!・・・カピートってイタリア語じゃん。

それからはハムから毎日電車に乗ってミュンスターまで語学学校に通うことになりました。受験まで残り2ヶ月!!


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